どろんこヒストリー

さつき会誕生秘話。

1982年(昭和57年)上田敏明(前社会福祉法人さつき会理事長)が福岡県糟屋郡久山町に「どろんこ農園」を開園しました。後の社会福祉法人さつき会の前身の誕生です。

 このどろんこ農園が出来る前、上田は東京の某病院でケースワーカーをやっていました。その時に、知的障害がいのある方、心の病を抱えている方が生き生きと活動できる場はないだろうか、なにか自立の手助けが出来ないだろうかと考えました。

 一大決心をした上田は久山町という自然豊かな町にやってきました。

 「生きるめあてと意欲」をテーマに農業を行うことを通して、障がいのある方が生き生きと活動し、自立していく事を目指しました。


開園に当たって、久山町が大きな手助けをしてくれました。

活動の舞台となる135㌃の農園用地、30㌃の畑は久山町が無償で貸してくれました。そこに鶏舎を建てて養鶏と農業を行う事にしました。ちょっとした障がいがもとでいじめられたり、疎外され心の傷ついた人(以後お兄ちゃんと書きます)たちが働きに来ました。

自然の中での作業、そして仲間たちとの出会いが皆を変え、暗かったみんなの顔がみるみる明るくなっていく様は誰が見てもわかるほどでした。

格好つけて言えば上のように、いいもののようにも語れますが、現実はもっと厳しいものでした。


運営費用は、年間50万円程の行政サイドからの補助と農業収入で成り立っていました。

農業の素人同然だった上田が、最初にトラクターを購入し農業に取り組みましたが、農業はそんなに簡単に出来るものではありません。失敗の連続でなかなかよい作物は育ちません。最初に上田の用意した500万円はあっという間に消えてしまいました。生活と農園の運営のため、上田は昼間お兄ちゃんたちと働いた後に、数々のアルバイトをこなしました。

 

そんな時に助けてくれたのは町内の農家の方でした。

近隣の農家の皆さん、農協の方をはじめ、様々な方が農業のやり方を教えてくれたりして活動を存続する事ができました。

畑作・米作等を、農家のアドバイスをもらいながら続けました。

近所に住む農業の達人は、「おれだって30年かかってここまで畑作れるようになったったい。そげん簡単にできるわけなかろうもん」と励ましてくれました。

 

 

 また、農園に手作りで鶏舎を建て、養鶏も行いました。


 どろんこ農園は自然いっぱいという点ではいい所でしたが、 養鶏をやるにはやりにくい場所でした。野獣です。
イタチ、キツネ、タヌキなどが夜な夜なやってきては、大切なニワトリをむさぼっていくのです。

 

そのたびに罠を仕掛けたり、鶏舎の壁を丈夫にしたりしました。野獣と人との知恵比べです。壁をこちらが丈夫にしたら獣は地面に穴を掘って鶏舎に侵入し、地面を固くしたら今度は屋根と壁の隙間から入ったり、果てしない戦いが続きました。文字通り「いたちごっこ」といえます。(注意:語源ではありません)

それでもお兄ちゃんたちは一生懸命ニワトリを育てました。

 

餌の配合(良質な素材を自家配合していました)、餌と水をあげる仕事、卵を集める仕事、卵を洗う仕事、パックにつめる仕事、売りに行く仕事、一連の工程をこなす中でニワトリを育てる仕事に自信と責任を持つようになっていました。

 

手間ひまかけて育てたどろんこ農園の卵はおいしいと評判になりました。

 

 

 

 

続く